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聖徳太子のエピソードを見てみよう
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1. 6歳で経典に関心を示す
2. 蝦夷制圧の計画を聞く
3. 蘇我馬子の寺で供養を行う
4. 物部守屋ら、寺を破壊する
5. 用明天皇の病と崩御
6. 崇峻天皇暗殺の予兆
7. 戴冠の儀
8. 崇峻天皇、殺意をもらす
9. 蘇我馬子、東漢直駒を殺す
10. 黒馬で空を飛んで富士山へ
11. 勝鬘経を講義する
12. 法華経を講義する
13. 推古天皇の狩猟をいさめる
14. 馬子の健康回復を願う
百済に派遣されていた大別王(おおわけのおおきみ)が経典をたずさえ、僧たちとともに帰国した。太子は敏達(びだつ)天皇に経典を見たいと願い出た。理由を問われた太子は、「中国の衡山(こうざん)で修業した前世の記憶があるから」と答え、天皇や大臣たちを驚かせた。
部屋の奥に座るのは敏達天皇。階段下に立つのは帰国の報告をする大別王と考えられる。手前と右手には、百済から来た僧の姿もある。うち、右の4名は肩まで垂らした髪型から尼僧と推測される。
敏達(びだつ)天皇と大臣たちは、東で勢力を伸ばす蝦夷(えみし)を武力制圧することを計画するが、太子は「慈しみの心で治めるべきである」と天皇に進言した。
顔料がはく落ししているため、室内の奥に描かれた敏達天皇の姿が確認しづらい。黒い衣を着た大臣たちは縁側で、天皇と蝦夷制圧を討議をしている。本来は天皇に意見する太子も描かれていたようだ。
蘇我馬子(そがのうまこ)は百済の弥勒菩薩石像を屋敷に建てた仏殿に納めた。また、尼僧を招き法要も行った。ある日、司馬達等(しばたっと)の供え物の上に仏舎利(仏の遺骨)が出現し、達等はこれを馬子に贈った。太子は馬子の寺をひそかに訪れては供養し、馬子をたたえた。
笏(しゃく)を持ち向かい合う二人の男性は、蘇我馬子と司馬達等と考えられる。その左に仏舎利を安置する三脚台があり、手前の屋根の下には、弥勒像ではないが、石像のような白い如来像が描かれている。場面の奥に法要に訪れた尼僧たちがいる。
二人の大臣、物部守屋(もののべのもりや)と中臣勝海(なかとみのかつみ)にそそのかされ、敏達(びだつ)天皇は仏教を禁止した。太子による守屋への警告もむなしく、蘇我馬子(そがのうまこ)の寺は破壊された。のちに疫病が大流行し、太子は、守屋と勝海が仏の教えに背いた報いだと語った。
右にある金堂の周りでは、僧侶たちが暴行を受けている。金堂の奥からは火の手が上がり、屋根の上から瓦が落とされている。左の三重塔の中段では、屋根の宝輪を投げ落とそうとする者もいるなど、馬子の寺での破壊の限りが描かれている。
病に倒れた父・用明天皇を太子は懸命に看病し祈り続けた。天皇が仏に帰依することを望むと、蘇我馬子(そがのうまこ)は大臣たちの反対を押し切って、豊国(とよくに)法師を宮殿に引き入れた。中臣勝海(なかとみのかつみ)が妖術で呪いをかけた結果、天皇は崩御し、太子は嘆き悲しんだ。
廊下でつながった二棟の建物の右側の部屋で、病に伏せる用明天皇を太子が見舞っている。庭の手前に立つ3人の男のうち右は、他の二人に天皇のもとへと導かれる豊国法師と考えられる。
太子は、崇峻(すしゅん)天皇が危害を加えられる予兆を感じ、害を及ぼす人物を遠ざけるように進言した。天皇は鏡を見て太子に指摘されたとおり、瞳を貫く不吉な赤いものを見つけ大変驚いた。太子は臣下に天皇の護衛を命じた。
かぎ型に曲がる建物が舞台になっている。人物などの図像ははく落して見えないが、のちの天明模本を参照すると、太子が崇峻天皇に不吉な相について知らせる場面が描かれていた可能性がある。
太子の戴冠の儀式が行われ、臣下たちが祝った。
顔料がかなりはく落しているが、建物右手の御簾(みす)が上げられた室内では、赤い花唐草文の衣を着た崇峻(すしゅん)天皇が奥にひかえ、手前にいる水色の衣を着た太子に冠を被せているようだ。周りでは、臣下たちが戴冠を祝っている。
猪を献上された崇峻(すしゅん)天皇は、「この猪の首を断つように嫌いな人を切りたいものだ」と語った。太子は口止めしたものの、蘇我馬子(そがのうまこ)が聞きつけてしまう。恐れた馬子は部下の東漢直駒(やまとのあやのあたいこま)に天皇を暗殺させた。
主殿と門のあいだに、赤い首輪をつけた猪が置かれている。猪の前に座る男性が、崇峻天皇に猪を献上していると考えられる。塀の外にも、宮殿の門をくぐろうとする4人の男性が描かれている。
蘇我馬子(そがのうまこ)に命じられた部下の東漢直駒(やまとのあやのあたいこま)は、崇峻(すしゅん)天皇を暗殺した。しかし、その後の駒のおごった行動に怒った馬子は、髪を庭木に結わえて駒を吊るし、自ら矢を放ち、剣で腹を切り、首をはねて駒を殺害した。
部屋のへり近くで立膝をついている男性は、駒を弓で射ようとする馬子と考えられる。庭の右手に木が描かれた跡があり、その左に少し残る赤い顔料の周辺に、殺害される駒が描かれていた可能性がある。
太子は、甲斐の国から献上された黒馬に乗り、空中に駆け上がると東に向かった。黒馬の飼育係である調使麻呂(ちょうしまろ)だけが付き添った。3日後に帰ってきた太子は、「富士山頂に到達して、信濃まで飛び、越前・越中・越後をめぐって帰ってきた」と語った。
富士山上空の右側に、黒馬に乗って飛び、東の国に進もうとする太子が描かれている。馬の尻尾の後ろに、調子麻呂を思わせる人物が描かれていたと考えられるが、現在では足の部分のみ残っている。
推古天皇の願いで、太子は勝鬘経(しょうまんぎょう)についての講義を行った。その様子はまるで僧侶のようであった。講義は3日間行われ、夜に、1メートル近い大きさの蓮の花びらが降り積もった。これを見た天皇は、この場所に寺を建てることを誓った。
御簾(みす)が上げられた主殿内部は、幡(ばん、仏堂を飾る旗)で装飾が施されている。その奥に、勝鬘経について講義する太子が描かれていたと思われる。前庭では、降り積もった赤と薄い緑色の蓮の花びらを臣下たちが取り囲んでいる。
推古天皇の願いで、太子は飛鳥の岡基宮(おかもとのみや)で法華経についての講義を行った。その様子は、まるで僧侶のようであり、天皇から大臣までがこれを聞いた。講義は7日間行われ、天皇は大いに喜んだ。
松の枝に一部が隠れた室内は、多くの幡(ばん、仏堂を飾る旗)で装飾されている。その奥には、顔料がはく落しているが、机の前で法華経を講義する太子が描かれている。庭に張られた幕は、隣の場面との間仕切りの役割を果たしている。
推古天皇は兎田野(現在の奈良県宇陀市)を訪れ、狩りの様子を視察した。太子は、「仏教では生き物を殺すことは最も重い罪だ」と語り、天皇が永遠に殺生を断つように求めた。天皇は過ちを認め、以後殺生にかかわらないことを誓った。
周囲を山で囲まれた野原に、鹿と、鹿を馬に乗って追う人や、歩いて追い立てる人が数多く描かれている。推古天皇のものと思われる牛車の前に、赤い花文様の衣を着た太子の姿が見える。
大臣である蘇我馬子(そがのうまこ)が病に倒れた。太子は馬子のために僧と尼僧を千人出家させ、彼らが仏門に入るための儀式を自ら執り行った。
細長い建物の一番奥に描かれているのが太子と考えられる。庭の中央には、器を載せた黒い台が置かれ、その周囲には僧たちがひかえている。うち右側の4人は建物に向かって合掌をしている。